大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)755号・昭35年(ワ)1501号 判決
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〔判決理由〕被告等は、旧建物は右戦災により、内部木造部分は各階層間の床、天井を含めて完全に焼失し、屋蓋も全部崩れ落ちて地下室に堆積し、唯コンクリート造外壁部分だけが残存していたに止まり既に建物ではなくなつてしまつたものであるから、先代正一の所有していた建物は滅失したものである旨主張するのでこの点を先づ検討する。
<証拠>を総合すると、旧建物は、先代正一が昭和一五年写真館として建築したもので屋上軒先部分、一階コンクリート庇部分、入口及窓上部の壁、玄関入口のコンクリート土間部分に鉄材を使用したにとどまり、外部は無筋コンクリート、内部は木造とし、コンクリート外壁部分は充分の強度を保持するために厚さを八寸乃至一尺とし更にその壁体の或る部分は厚さ約三尺程度の柱でこれを補強し、また地下室にボイラー及び浄化槽を備えたこと、ところが昭和二〇年三月罹災したため内部木造部分は各階床も含めて全部焼失し陸屋根式の屋蓋は軒先庇部分を除き殆んど抜け落ちて地下室に堆積し、窓ガラスは大部分破損せしめられたこと、但し右地下室及びコンクリート造外壁部分(以下これらを外壁等と表示する)は、一部表面のタイルが剥脱する程度の損傷を受けたのみで、罹災前のまま残存していたこと、被告諫山は昭和二三年頃約七五万円の改修費を投じ且つ右外壁等を利用して旧建物と階層及び床面積のほぼ等しい本件建物に復元せしめたこと、右改修工事には半年を要しなかつたこと、当時本件建物を別個に新築するとすれば二〇〇万円を下らない費用を要したであろうこと、従つて外壁等がそれ自体として相当の価値を有していたものであること等の事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
以上のような事実関係においてなお右外壁等が建物といえるものかどうかは結局社会通念に照らして判断するほかはないが、単に建築途上にある建築物の場合と異り一度は完成をみて居住乃至営業に供しつつあつた建物が、所有者等の取毀乃至解体除去の意図とは全く関係のない戦災によつてその一部が破壊され、一時的に居住に耐えがたい状態に立至つたとしても、残存部分を利用して短期間にしかも比較的安価に修復が可能であり、且つ取毀し収去して単なる建築材料或いは利用価値の少ない瓦礫と化せしめる事が社会的経済的に考察して損失であると考えられるような状況にある場合には土地に附着したままでこれと別個独立した不動産と評価すべく社会通念上なお建物とみるのが相当である。(下出義明 上田耕生 田中宏)